「私」が消えると、救いが残る

こんばんは!
UMMOです。

非二元の話が難しいと思っている人向けのお話をしたいと思いました。

「私は、本当に存在しない。」

ある鑑定で、こんなやり取りがありました。

「……それで、それを考えているのは誰ですか?」 「私です」 「じゃあ、それを消したいですか?」 「はい」 「では、ちょっと消してみましょうか」

そう言って、私は鑑定に入っていきました。

この話は、誰にでもするわけではありません。 人生が順調にいっている人に「それはあなたではない」と言えば、せっかく上手く機能している足場をわざわざ揺らすことになります。だから、深刻な悩み——苦しみに強く囚われている時だけ、この扉を開けるようにしています。

でも、真理そのものは人を選びません。 本当の救いは、誰にとってもここにしかない。 届ける相手を選んでいるだけで、答えはいつも同じ場所にあります。

見えているものは「自分」じゃない

目の前にあるコップを見ているとき、コップはあなたではありません。 「見ている対象」だからです。

この当たり前のことを、自分自身に当てはめてみます。

  • 役割が見える(占い師、父親、経営者、誰かの息子) → 見えている時点で、それは自分じゃない。服と同じ。
  • 肩書や名前が見える → 他人につけられた記号が見えているだけ。これも自分じゃない。
  • 体が見える(痛い、疲れた、老いていく) → 観察できている。だから体でもない。
  • 思考が見える(「消えない」「苦しい」「もう嫌だ」) → これも観察できている。だから思考でもない。

役割、名前、体、思考。 これらは全部、「見られる側(観察される対象)」に回ります。

さっきの鑑定で「それを消したいですか」と聞いたのは、こういう意味です。 苦しい思考を無理やり消せと言っているのではなく、「それを考えている(見ている)のは誰か?」に気づいてもらっただけ。

気づいた瞬間、思考をぎゅっと握りしめていた手が、ふっと緩みます。 消えるのは「思考」であって、それに気づいている「あなた」ではありません。

「ヤツ」がギクッと言った瞬間

先日、ある女性にこの話をした時のことです。

「役割も、名前も、体も、思考も、全部『見ている側』から観察できる。だからそれは自分じゃない。ひとつずつ外していくと、自分はどんどん消えていくんだよ」

そう説明すると、彼女はハッと表情を変えて言いました。

「そんなこと考えたら……私、死んでしまうんじゃないですか?」

「消えるよ。でもね、生まれてもいないし、死にもしないってことも分かるよ」

その瞬間、彼女が言いました。

「あ! 今、ヤツが『ギクッ!気づかれたか!』って言いました(笑)」

二人で大笑いしました。

「消えたくない!続いていたい!」とエゴ(自分だと思い込んでいるもの)が焦って声を上げたのです。 守りたがっているのはいつも「ヤツ」の方であって、僕でも、彼女でもありません。

消えるけど、死なない

役割や名前、体や思考は、生まれてから作られたものだから、いつか消えます。 でも、それらをずっと観察していた「これ(見ている側)」は、一度も生まれたことがありません。

生まれていないものは、死にようがないのです。

鑑定で「それを考えているのは誰か」と聞いたときも、 女性に「死んでしまうのでは」と聞かれたときも、答えは同じでした。

「見られる側の私」は、消えていく。 「見ている側の私」は、最初から生まれてもいないし、死にもしない。

そう、いつも悩みの正体は「私(見られる側)」なんです。

ありがとうございます。

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